西村幸祐@顔本、「愛」など必要ない二国間関係 |
笑ってしまった。
日韓の文化交流などは、意味が殆どないことを
人は身を以て知ったはずだ。(少なくともわたしは)
今、改めて韓国が擦り寄ってきているのは、
世界的に「韓流の終わりが見えてきた」からであるし、
中国よりになりすぎている自国の未来が不安でもある。
日本も、韓国もお互いにとって最も重要なことを
横に於いてきた。
「歴史」だ。
歴史認識は、人生観を形作る。
厄介なのは、表向き「黄色人種」で類似点が多い。
そのために、うっかりすると「理解しあえる」と
錯覚を起こす。
歴史認識は、二国の間には、男と女の間に流れる川より、
もっと深く、もっと暗い闇を抱えている。
交流しようなどと考えるべきではないのだ。
ましてや、「愛」などと言う戯言はもう止めるべきだ。
必要なのは、罰則を伴うルールだ。
韓国・慶北大の李章雨教授はK-POPや韓流など韓国の文化コンテンツを戦略的・総合的に育成し、海外へ売り込む「韓国文化産業フォーラム」の共同 代表理事を務めている。ソウルに本拠を構える同フォーラムは、李教授のような学者だけでなく、エンターテインメント産業や政府の関係者らも加わった「産学 官」の組織で、発足して10年になる。
このフォーラムが日本との連携をめざし発足させたのが、日韓文化産業フォーラムという組織である。 発足は昨年9月。そう聞くと「きっとうまく行ってないんだろうな」と思ってしまうのも無理はない。8月の李明博大統領による天皇陛下への謝罪要求を機に、 日韓関係は一気に冷え込んでしまったからだ。
だが李教授はあきらめなかった。11月には大阪で第1回会合を開き、ゆっくりながら始動した。その李教授が先日、フジサンケイビジネスアイ編集部を訪れた。しばし話し込んだ。
「日韓関係は、政治面ではぎくしゃくしている。まずは文化の面で交流を活発化させる必要がある」というのが、李教授の意見。当たり前といえば当たり前だが、今、その言葉には重みがある。
洪水のような韓国コンテンツの流入によって形成されつつあるかにみえた日韓の草の根文化交流が、昨夏の「事件」によって、実はさほどあてにならないもの だったことが露呈してしまった。韓国ブームは衝突の緩和剤になるどころか、逆に文化の無力さばかりが浮き彫りになってしまった。
李教授を はじめ当編集部を訪れた一行は口々に、「(戦後コツコツと積み重ねてきた)日韓関係がゼロになってしまった」という厳しい見方を示した。長老世代の退場に つれ、なんとか対立を抑え信頼関係をつないできた日韓のパイプが、もはやなくなってしまった、というのだ。だから、もう一度文化交流から始めよう、という のである。そこが、おもしろい。どれだけ長い道のりになるかわからないが、韓国側からそういう意見が出てきているのも興味深い。
日本側 も、今度は韓国文化に対しては一段成熟した態度で接することを求められると思う。それは時に辛口の批判であり、背景についての視線であり、ビジネスがから む冷徹な打算かもしれないが、むしろいいことだろう。愛は、批評性がなければ愛になりきれないのだ。(フジサンケイビジネスアイ 編集長 松尾理也)
「愛は、批評性がなければ愛になりきれないのだ。」などとのたまうこの松尾という人、ちょっと●がおかしいんじゃね~?あるいは悪質な成りすましか?