<世界経済導報>事件と<南方週末>事件の主役は誰か? |
1989年4月8日朝10時、中共総書記趙紫陽は中南海懐仁堂において十三回四中全会開会をひかえて政治局拡大会議を主催した。まさに<中共中央の教育問題に関する決定>の原稿を討議中、胡燿邦が心臓病を発し、休みたいことを申し出た。党中央の担当医の見立ては心筋梗塞、直ちに北京医院に送られた。一時は小康状態となるも15日朝死去した。
4月19日、北京の雑誌<新観察>が、当時の改革派論客、胡績偉、嚴家其、潘維明、蘇紹智、秦川、戴晴等による<胡燿邦同志を哀悼する座談会>を掲載。
4月24日、上海の改革派の雑誌<世界経済導報>が<新観察>の座談会を転載しようとしたが、その内容の一部に問題ありとして時の上海党委員会書記の江沢民が問題箇所の削除を要求した。しかし編集長の欽本立はその要求を拒否しそのまま掲載したため、上海市当局の停刊処分を受けた。
折から北京を中心に巻き起こっていた胡燿邦同志を哀悼し民主政治改革を要求する学生市民のデモでは欽本立支持、江沢民批判の声が高まった。
5月1日、政治局会議上、趙紫陽は江沢民に対し、その荒っぽいやり方は情勢を悪化させたと批判した。
以下の状況の推移はご承知の通り。拡大収拾のつかなくなった民主改革要求に対し鄧小平が軍をもって鎮圧し、趙紫陽は失脚、江沢民が代わりの総書記に指名された。
さて、この状況を回顧してみてすでにお気づきの方も多いと思う。
そのとおり、今回の<南方週末>新年特集社説差し替え事件と似ている。
では、登場人物の比較は如何?
大紀元系の石濤氏は、習近平を趙紫陽に見たてている。
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<世界経済導報>と<南方週末>事件の対比は、実はこの石濤氏のアイデアだった。
しかし、状況は89年とはよほど異なっている。
わたしにはむしろ前回、「南方週末事件」に垣間見る新たな権力闘争 でも提起したが、「批林批孔運動」当時の「李一哲の大字報」が、趙紫陽が組織した反江青の政治活動であったことに似ていると感じている。
ここでも趙紫陽が登場するが、その場合でも趙の役柄を今回は習近平が演じているのではないか?
とするなら習近平の狙いは何か?
石濤氏と大紀元は、それを江沢民とその一派の一掃と見たてている。
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労働教養制度の廃止に抵抗か 習氏の法治実現に保守派がうごめく
しかも、
同(労働改造、引用者註)制度が廃止されれば、周氏やその後ろ盾となる江沢民ら保守派が同制度を利用して行った悪行も表面化する。これは保守派が懸命に習氏の法治実現をけん制する要因でもある。一方で、習氏がもし、江一派の毒巣をえぐり出し得たならば、共産党政権の微妙な権力バランスが崩れることになり、これは最終的に共産党 の解体につながりうる」
と期待を寄せているのである。
こうした見方は、わが国におけるいわゆる「中国通」や新聞記者様が、習近平は江沢民派であるという誤った固定観念からどうしても抜け出ることができない状況下では想像もつくまい。
しかしわたしには、この大紀元の見方が理にかない、そしてうまく状況を説明しているように思われてならない。
とはいえ、習近平がはたして中共解体を密に目指しているかどうかまでは判断がつかない。
これからの行く末を占うキーワードはやはり「胡燿邦」であろう。これについては、以前の記事 胡燿邦を偲ぶ を参照して欲しい。
またひょっとすると趙紫陽再評価の動きも再度蠢動してくるかもしれない。
そうなるといよいよわたしの見立て、習近平と団派が協力して民主政治改革を進捗させることになることに間違いなかろう。
いずれにせよ、習近平が演ずるべきは失敗した趙紫陽ではなく鄧小平の役でなければなるまい。
しかしいつも述べている通り、この政治改革を推し進めたその最終点では中共統治を否定せざるを得なくなるのである。それをすぐさま見通すことが出来た鄧小平はそれゆえ政治改革を停止させた。
文革・下放で辛酸を舐めた習近平と、そのほとんどが優等生として養育された団派の人々が相通ずることは皮肉ではある。彼らの主観的要望とヴィジョンが那辺にあるかは知らないが、結果として中共消滅へと邁進してくれるのは大歓迎である。
それが、不幸にもシナの隣国であるわが国にとっても肯定的な結果をもたらすことを願うばかりだ。