カザルスという近代 |
以下はもう四年前(西暦2007年11月19日)の記事であるが、ここに再更新する。
バッハのことから思い出した記事であり、わたしの音楽への考えがよく出ていると自分ながら思うからだ。
当時は外部ブログへ「つづく」となっていたが、こちらへ全文を掲載する。
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また音楽の話題で恐縮だが、あえて続けたい。
駿河台の「主婦の友」社があった場所に、カザルス・ホールができたのは、もう昭和も押しつまったころだったと思う。
御茶ノ水の駅から駿河台を下ってすずらん通りへ行く途中、いつもそこが工事中だったのは知っていたが、わたしは上海から帰ってきたころに、立派な室内楽専用の音楽ホールが完成した、というニュースを聞いておどろいた。てっきり社屋を新築するだけのものと思い込んでいたからである。
たしかに上野の文化会館小ホールくらいしか室内楽を聴ける場所はなかったから、カザルス・ホールは一種の快挙といってよかったかもしれない。
もちろんその名をパブロ・カザルス(Pablo Casals)にとったものであろう。もうそのころは逝去して十年以上もたっていたから、カザルスはすでに伝説中の音楽家であった。
とくにバッハの『チェロ無伴奏組曲』(ドイツ語では単にチェロ組曲「Cello-Suiten」という)は、彼自身が失われていた楽譜を発見し再び世に復活させた功績は、誰も忘れてはならないものである。
しかしその演奏といえば、カザルスの個性そのものであって、バッハの音楽とは多少の齟齬をきたしていると言わざるをえない。その演奏ではバッハは後ろに下がり、カザルスその人が前面に出て自己主張をしている、そのように感じられてならないのである。
とはいえ、彼なくしてその曲は後世のわれわれに知られることはなかったのであるし、またチェロという楽器も伴奏楽器と思い込まれていて、独奏による芸術表現が可能であるとは誰も思ってもいなかったのである。それゆえ、カザルスの演奏すなわち『チェロ組曲』であった。
その後の音楽界には、ロストローポーヴィチイ、デュ・プレ(Jaqueline Du Pré)、マイスキー、ヨーヨーマーなどのチェリストが輩出したことにより、カザルス以外の演奏が聴けるようになりカザルスの個性がますます引き立つことになった。
はっきりいってわたしには、カザルスの演奏が好ましいとは思えない。あまりに近代的すぎるのである。個性がむき出しすぎるのである。そんな類の自己表現が「芸術」ともてはやされた時代もあったのだ。大方は今でもそのとおりかもしれない。
しかしわたしはそういう類のゲージュツは好まない。むしろ近代以前のもののほうが好ましい。たとえばバッハである。バッハの音楽とは、わたしにとってはあくまで瞑想的なものであり祈りに似たものであるからだ。
近代的な自己表現は、ぜひドイツ・ロマン派の音楽でやってもらいたいのだ。しかし、とはいえそれをバッハの音楽ではなく、カザルスの音楽として聴くなら申し分は何もない。
とくに自身が組織したマールボロ音楽祭管弦楽団を指揮した、『ブランデンブルグ協奏曲』は低音部の響きが、さすがというか、特にすばらしい。彼の指揮者と しての本領がよく発揮されている。一番よかったのはカザルス自身が演奏していないことだ、といったら彼のファンにはしかられるだろうか?
さて、件のカザルス・ホールである。完成したとのニュースで早速妻と見に行った。演奏会のスケジュールがあるだけで、こけら落としもまだであった。外から 見た感じではなかなかよさそうである。しかしホール入り口に示されたその入場料にはあきれるしかなかった。たかが室内楽にまるでベルリン・フィルの演奏会 ほどの値段がつけられていたからだ。
時はバブル時代であったから、それでも日本では普通であったのかもしれない。しかしドイツにおける室内楽とは「Kammer Musik」とのことばどおり、家庭や小さな市民ホールなどで演奏されるものである。
妻の家庭では、父母が音楽を縁に結ばれただけあって、週ごとに一度はクアルテット、あるいはクインテットの演奏を楽しむための素人演奏会が開かれていた。父がヴィオラを弾き母がピアノで伴奏するのはほとんど毎日のことであった。
そのような家庭環境でそだった妻にとっては、カザルス・ホールの値段設定は反感の対象でしかなかった。わたしの財布が激しい同感にふるえていた。
というわけで、今に至るもわたしはカザルス・ホールでの演奏を聴いたことがないのである。
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後日談
この再更新をしたところ、敬愛するSONO大兄から、カザルス・ホールはすでに閉鎖されたことをお教えいただいた。
わたしにはつくづく縁のないホールであったなあ、と感慨深いものがある。