趙紫陽の名誉回復間近か? |
昨日の17日は、すでに死去した趙紫陽の92年目の誕生日であった。
北京当局はなぜか「趙紫陽」という字面にフィルターをかけることを止め、ネット上では趙を哀悼祈念する記事や写真が溢れかえったという。
しかも当局はそれらを削除することなく放置しているらしい。
その中で、ある南京の学者が趙紫陽の生まれ故郷にある記念館を訪れたさいの写真などをアップしたという。(赵紫阳生忌 网掀悼念热微博罕有没被删))
河南省滑県桑村郷趙庄(そのあたりは趙という姓、つまり趙姓宗族の集落であろう、ゆえに趙庄=趙村)にある記念館は村民が自発的に建てたそうだが、中共支部の支持もうけているらしい。
<おらが村さの総書記様>というわけだ。
何が中共で起きているのか?
考えられるのはもちろん権力闘争に趙紫陽を利用している、
このことである。
趙紫陽は、1989年の六四騒動のさい、学生に同情して譲歩を繰り返し時局収拾を誤ったという罪で鄧小平に中共総書記を解任され、そのまま2005年に死去するまで自宅軟禁されたのだった。
その後任として総書記に就任したのが、先日、ずうずうしくも「辛亥革命百周年記念大会」にその老体を露出した江沢民であった。
この江沢民こそが趙紫陽の名誉回復を許さず自宅軟禁を継続するよう無残な仕打ちを命令した張本人であろう。
なぜなら趙紫陽の名誉復活が為されるなら自己の総書記就任は否定されるからである。
来年の党大会へむけて権力配分という名の権力闘争が進捗する中、死んだはずの江沢民が突然露出したのは、コキントー指導部に対する面当てであった。
今回、趙紫陽という名がネット解禁になったのは、江沢民とそれを利権の種とする一派への面当て返しである。
もしこのまま趙紫陽が名誉回復するなら、六四事件以来の最大の懸案である事件そのものの歴史再評価につながる。
さて中共権力闘争はどこまで行くのであろうか?