幼児ひき逃げ報道における一筋の光 |
あいも変わらぬシナに対する誤解あるいは無理解である。
今回の幼児ひき逃げ、無視して素通りする歩行者たちに対して記事は述べている。
<「中国の経済は発展したが、道徳は失われた」などと嘆きの声が相次いでいる。>
こんな記述を目にすると、ここ五年余りイザや他のブログで書き散らしてきたことが一切無駄であったか、と虚無感に捉えられるほどだ。
しかしそれでも何か云っておかねばなるまい。
シナに崩壊すべき「モラル」などない。
あるのは氏族・宗族内あるいは擬似宗族である共同体内部だけで通用するモラルだけである。
これについては<シナにつける薬>について以下のような私見をのべておいた。ご参照いただきたい。
シナにモラルがない、とは誤解である
その一部を引用しておく。
< モラルとは、シナにおいては宗族あるいは擬似宗族の内だけで機能するものであって、それ以外にモラル機能が及ぶことはないのである。
すなわち宗族以外の、つまりモラルがおよぶ範囲以外の場所で宗族以外の人間となにごとかのかかわりが生じた際にも、そこにはモラルの要求がない。
だから他人を騙したり、利用するだけ利用したり、損害をあたえたりしてもなんら罪悪感を持つこともないし、持つ必要がないのである。なにしろそこにはモラルの要求がないのであるから。>
近代の特徴である市民社会とそこで通用するパブリック・モラル、これがいつシナで成立するかは定かではないが、今回の事件が、シナ人諸君の対自意識を刺激して近代社会とは何かという自問自答がなされることを期待するばかりである。
農村部はまだ古代をひきずっているので致し方ないが、「豊になった都市部」においてせめてその萌芽があるかもしれない。
最低でも国民を教育しようとする官側の宣伝「報道」はあるわけであった。
これが今回の「報道」の一筋の光である。