発作的シナ語講座92、<画清界綫> |
諸君、ながのごぶさたであった。
日本語でも「一線を画す」というが、シナ語では「画清界綫」(ホワ・チング・ジエ・シエン)という。
文革のころよく使われた。つまりそういう政治社会状況があったからだ。
とくに親子兄弟夫婦などの関係において「画清界綫」する政治的要求があったのだ。
すなわち家族の誰かが政治的錯誤あるいは「罪」を犯したとする。その際、わたしはその誰かとは違い「正しい」政治的態度をとる、と表明することである。そうしないと一心同体としてその誰かと同じ政治的懲罰を受けねばならない。
シナのように儒教を生み出した社会においては肉親家族関係は人間関係の基本中の基本であり。ユングならその関係を「大きな自己(セルフ)」というだろう。
それほどシナ人にとっては自己を切り裂くような心理的圧迫をうけるのが、
この「画清界綫」なのである。
それは時には自己の誇りや尊厳を破壊する。だからこそ中共は人民にそれを以って党への忠誠の証を要求するのだった。
そうして文革が過ぎ去ったあとのはずたずたになった肉親家族関係すなわちシナ社会における基本的人間関係の廃墟が出現したのだった。
しかしそれもすでに過去の遺物になったと思ったのはとんだ思いちがいであったようだ。
いまカーディル氏の家族が中共により「画清界綫」をさせられている。
30年来「改革開放」のもとに資本主義と民族国家建設に邁進してきたはずの中共政権も、「中華民族国家」建設の明らかな失敗を見て、どうやら先祖がえりをしてしまったようだ。
となるとわが国も中共統治下のシナとは一線を画さねばなるまい。