休止した理由・続 |
シナとはとんでもない国だ、しかもそんな国から大挙してやってきた移民と(その予備軍であろう)留学生も遠慮など少しも知らぬけしからぬ振る舞いだ。
それがこの三月から五月にかけて巻き上がり、そして一時に世界中を席巻した反シナ情緒でした。
そして、はたしてというべきか、それに反抗するかのごとく沸きあがったシナ本土と海外在住シナ人たちのリアクションがありました。そしてその行為がいよいよさらなる反シナ情緒を促す。実によくできたシナリオです。
以前からの読者のみなさんは、よくご存知のとおり、わたしは親シナ派ではありません。それでもあのような情緒の大波には辟易としてしり込みをしてしまうほどでした。
反感と憎悪を増幅してとどまるところを知らなければ、その行き着く先は、反感と憎悪をもちあう相互に悲惨な結果が待ち受けていることでしょう。
再確認しておきます。
わたしは反戦平和論者ではありません。
中共独裁政権の内外における帝国主義政策には断固反対です。
そして、
シナおよびコリア、そしてそれに呼応する日本国内の一部が結託した「反日ファシズム」は、日本にとっての最大の脅威のひとつです。
しかし、それよりさらに危険な大津波がすぐそこに迫っているのかもしれません。
世に言う「陰謀論」の真偽の検証はわたしの任ではありません。またその能力もわたしにはありません。
ただ、かって(おそらく二度)わが国を襲いそして破滅の危機に追い込んだある力がまたわが国を破滅の淵に導こうとしているのだ、と感じるのです。
それは、おそらく「反日ファシズム」よりももっと巨大な嵐なのです。それに抗するためには、「反日ファシズム」とさえ合作しなければならなくなるかもしれません。
つまり目下の敵と共同してでも防がねばならない強力な何者かが、たとえば「反日ファシズム」を利用して、あるいはそれは彼らによって作り出されものかもしれませんが、わが国とそれらの「反日」国家地域もろとも破壊し葬り去ろうとしている、といってよいのかもしれません。
わたしは、いわゆる「東アジア共同体」には断固反対です。しかしその大嵐に対抗するためには、そのような戦略的決断も必要になるかもしれません。
しかしその前提は、わが国が自立した、核武装も含む軍事力と、それをコントロールできる政治外交力を有する、ということになりますが。むろんそれは、現状では夢想にとどまるでしょう。つまり、もう間に合わないのかもしません。
いわば、巨大な武装勢力同士の抗争に、抗争関係者一方の同盟者ということで竹槍武装のままで引き込まれる、という事態が迫っているような気配です。
わたしの思い過ごしであればよいのですが。
そこで、しばしの沈黙の後、いたらずといえども小さな声を上げて見たくなったというわけなのでした。
それは結局無駄なおしゃべりに終始してしまうかもしれません。しかし反感と憎悪を相互に増幅するよりすべきことはまだあるような気がします。
「敵」の声にこそ耳を傾けねばなりません。そしてそれは真の敵を見つけ出すことに通じているのだ、と考えています。民主という名の圧政が近づいているのです。
皆が行くほうにはわたしは行かない、という気概が必要になる政治的季節が間近い、と今は言っておくにとどめましょう。
写真と記事は関係ありません。