1989年11月9日 |
あの忘れがたき日がまた来る。ドイツ人の魂を揺るがした響きがわれら外国人にも共鳴した歓喜がよみがえるその日。11月9日、「ベルリンの壁」が崩壊した日。
以下は、一年前のエントリーの採録です。若干の字句と表現を改るとともに最終部分に加筆しました。
11月9日、そうです、あの日です。東西ベルリンを隔てた「ベルリンの壁」が崩壊した日。そして「蘇東波」(宋代の詩人文人・蘇東坡をもじった、反中共のシナ作家・新聞記者、故・劉賓雁の命名によるソ連(シナ語で蘇聯)・東欧の波乱の意)によるソ連邦と東欧社会主義ブロックの崩壊、さらには冷戦の終結を予告した日です。
(中略)
国が独立し他国の干渉をうけず、自己の運命を自己で運営することのかけがえのなさは、経済停滞などと交換できるはずのないものであること当然の道理なのです。それまでは東への援助のための特別税にたいし毎月の給料明細を見るたび不服を唱えていたわたしですが、それを境に外国人としてできる限りのことをこの居住する国にしようと考えるようになりました。
(中略)
サンフランシスコ講和条約により形ばかりの独立をとげて以来も、日本は実質的に米国の属国であると無念ながら言わねばならないでしょう。とくに憲法上武装力を放棄し、そのため実際ある武装力を国軍とはいまだに名を正せず、日米安保条約により自国の防衛を米軍だのみにしているわが日本がどうして真の独立国といえるでしょうか?
東西統一をなし完全に戦後処理を終え、欧州連合の中心国として世界の政治経済外交に重みをもつドイツに比較して、わが日本のザマを思うとほんとうに情けなくて仕方ありません。 ...続きを見る