発作的シナ語講座56、動詞としての<道> |
ここでは動詞としての<道>(タオ)を述べる。だから「みち」ではない。
動詞としては「のべる」「説明する」「言う」の意である。
『老子』の開巻第一句に、
「道可道非常道」とある。
この一番目と三番目は名詞の「道」であるが、「道路」ではなく「真理」「真の存在」という深い意味であるよ、緊張して聞いてくれたまえ。
で二番めの「道」が動詞として使用されておる。
訳せば、「言葉で説明できるようなタオは、真のタオではない」となるな。
すなわちタオとは言葉で理解するものではなく、直感的に知るものであるという、タオイズムの真髄がこの短い一句にこめられておるというわけじゃな。
これこそ仏教を禅に発展させる基となったタオイズムの根本定理である。
さてムツカチイと覚える諸君もおろうが、このタオイズム、吾輩のブログ正式再開後に詳しく述べてゆくつもりであるから、あらかじめ理解しておいてほしいのだよ。
さてこの動詞としての<道>であるが現代シナ語でもよく使用される。たとえば、
「難道・・・不成?」、とか「難道・・・嗎?」と慣用的につかわれ、「まさか・・・ではあるまい?」という反語的意味を表すのである。
例文、
難道民主党不是賣国嗎?
難道安倍総理非得下台不可?
(まさか安倍総理が退陣しなければならないというのじゃあるまいね?(いやしてはだめだ))
おわかりかな?いっておくが、これはあくまで語学練習のための例文であって参院選挙や政局とは関係ないのだよ、うふふ。