魯迅を見直す 12, <他媽的>について |
2006年ドイツ・ワールド・カップの決勝戦は、フランス・チームのジダンによる驚きの頭突きで実質上幕を下ろした。敗軍の将・仏チームの監督は、「君達はジダンが退場したいがためわざわざ頭突きをしたと思うかい?」と記者団に語った。
後日談として当の頭突きを喰らったイタリア・チームの某選手は「ジダンの母親と姉についてのきつい冗談をかましたんだよ、あはは」とは決して白状はしなかったが、それをほのめかすことはいったようだ、そして常識をもつ大方の人間はそう思っている。
さて相手の母親や姉を性的に貶める罵り語がイタリアにもあることを知ったのが、あの試合の最大の収穫であった。しかしどういう言い回しであるかはここでは述べない。実は知らないのである。
知っているのは、シナ語でどう罵るかだけである。
「他媽的」(「奴の母親とファックする」、または「してやる」)がそれである。
ホントは「你媽的」(「お前の母親とファックする」、または「してやる」)と言いたい所なのであろうが、そこまで直接にいってしまうと殺し合いにまで発展するので。すこし理性を働かせて三人称の罵りに抑止しているのである。
魯迅は、その『「他媽的」を論ず』のなかでこの言葉を「国罵」と呼んでいる。「中国の特色ある」罵り語、というほどの意味である。
無論誰であろうと、中国で暮らしたことのある者ならば、いつも「他媽的」あるいはそれに類する口頭禅を聞くであろう。思うに、この語の分布はおおよそ中国人の足跡の至る所に従っていよう。使用される回数は、おそらく丁寧語である「你好呀」(こんにちわ、お元気)より少ないとは限らない。仮に人の言うように牡丹が中国の「国花」なら、それは「国罵」と呼んでもかまうまい。
さらには、目撃した情景として、ある石炭運びの荷車が轍に落ち車夫がそのロバを鞭打ちながら「你姉姉的、你姉姉的」(お前の姉を)と罵っていたことを述べている。
はたして日本語にこういう罵りの表現はあるだろうか?「お前の母ちゃん出臍」程度であろうか?可愛いものである。
魯迅も罵語についての薀蓄を傾けた後、特殊な表現として以下の例を挙げる。
しかしときに例外的用法、驚きや感服を表すこともある。かって田舎にて農家の父と子が一緒に昼飯を食いながら、息子が一碗のおかずを指しながら、「こいつはいけるべよ、媽的ためしてみなよ」と言い、親父が答えて言う「おらいらねえ、媽的おめえがくいな」というのを見たことがある。これすなわち今流行の「我的親愛的」(マイ・ダーリン)という意味に醇化しているのである。
魯迅らしい皮肉のきいた可笑しい話だ。しかしそれはよく現実を表している。
シナ語では、それはもう罵り語でさえなく、ただの語気を表す掛け声に近いものになっている。それほど普通の言葉である。しかし女性が使用することは特殊な場合を除いてない。そこにはある抑制が効いている。
「チクショウめ」ぐらいに訳しておくのが無難であろうか。
じつは真の罵り語としてはもっと強烈な言葉がある。「媽拉個■」というのだが、伏字にするしかないほどの下劣な言いまわしである。PCの辞書にも入っていない。文字はあるのだが、書き言葉としては成立しない。ただし、路上ではたびたび耳にする言葉である。