遥かなる森有正 1 |
森有正がなくなってもう30年になります。その名前さえあまり目にも耳にもしなくなりました。日本人にとって忘れてはならない仕事をなされたと密かに敬愛しておりますが、いったいどうしたことでしょう?
東大文学部仏文科の助教授のまま公費でパリへ留学派遣され、留学期間が過ぎてもそのままパリへ留まり、東大からの再三の召喚にも応じず、前記教職ばかりか日本の家族も捨て去り、自らの探し求めるものを追及し続けてパリに逝った哲学者・森有正。
おいちゃんが高校・大学生だったころ一番影響をうけた作家の一人でした。また左右を問わず学生に一番人気のあった作家でもありました。まあどちらかといえば左のほうにより人気がありましたか?そのいくらかの政治的発言が戦後民主主義的ではありましたから。
でも政治と離れたところにその文学(とあえて言いましょう)の価値がありました。その独特の情感あふれる文体で語られるヨーロッパの社会、生活、思想、哲学、美術、音楽(みずからパイプ・オルガンを演奏)に強くひきつけられたのは、あたしだけでは無論ありませんでした。
そのころは全共闘の興隆から衰退へ向かう時代、あたしはひたすら乱読に励んでおりました。その生きる時代をなんとかより多く深く理解したい一念でした。
わが高校にも時代の影響でタテカン、ストライキ、全校集会などの騒ぎがありました。そんな騒々しい環境の中で自らの進路決定に悩んでいた際、最後に選択肢として残ったものがシナ学と仏文でした。
結果的にはシナ学を選んでしまったわけでが、後悔することしきりでした。だってやってみたらシナ学はつまらない、とくに小説がつまらないからです。まあそれは長くなるのでさておき、仏文およびヨーロッパ文明への興味と憧憬がしつこくからみつくのを、すこしづつほぐしてくれたのが森有正の哲学的エセーでした。
いろいろ名句もありますが、なにより自ら思索することをその読書をつうじて知りました。じつはそれこそ哲学そのものであることを後から知りました。まあヒヨコ程度のものでしょうが。とにかく他人の言説に拠りかかるのではなく、まず自分で考えてみること、それを森有正の文章から学んだわけです