魯迅を見直す 3、 三島由紀夫との接点 |
じゃあ愛国心のなにが一番大切な点かといえば、日本の場合は天皇制です、これが肝心なところ。
三島由紀夫(故人ゆえ、敬称ぬきでいきます)が東大全共闘の占拠する安田講堂に単身乗り込んで、全共闘を前に一席ぶったということがありました、もう憶えてる人も少なくなったでしょうが、そんとき三島先生(あ、やっぱりつけちゃった)がこういった、「諸君が天皇といえば共闘できる」ってね。もちろん全共闘の連中にはその意とするところは理解できるはずもなく、ヤジり倒したわけなんですが。これがある伏線であったことは、後にわかりました。
当時、三島先生の言わんとするところを理解できた人がどれほどいたでしょう?時代は左傾化の時代、「政治的道化師」とまでいわれていましたからねえ、「楯の会」もパフォーマンスだとおもってた人が大部分でした。ところが昭和45年11月25日、三島先生は陸上自衛隊市谷駐屯地東部方面総監部に討ち入り、ここでもヤジられながら日本人すべてにあるメッセージを打ち込み、そして立派に自裁されました。本気だったわけです。(『東アジア黙示録』さんの「壮絶な自決から36年…憂国の烈士・森田必勝を讃える 」http://dogma.at.webry.info/200611/article_21.html
をご参考ください。)
魯迅と三島由紀夫、なんとも奇妙な組み合わせとお思いになるでしょうが、愛国という一点で日本とシナが合い照らしあっている、と想像していただけませんか?(それにこのお二人、ともに二―チェ好きってことでも共通してます。)
パラダイム、ってものがあります。「思想の枠組み」っていうんですか、ある時代の人間が逃れられない考え方、発想法の枠組み、後の時代からみると、何で皆ああ莫迦なことを考え、やってたんだろうか、てえのもこのパラダイムのせいなんです。20世紀はマルクス主義の時代、ってなもんで、サヨクにあらずんば人にあらず、っていう雰囲気あったでしょう。
そのパラダイムから,未だに逃れられない思考停止した連中が、今のサヨク、及びリベラル派(コムュニストといってほしい)、進歩的知識人(退歩的、って言い換えなくっちゃあ)等などの有象無象なんですね。実はこの「リベラル」とか「進歩派」なんて言葉、これこそ古い過ぎ去ったパラダイムの名残なんですがねえ。
そのパラダイムの中での「サヨク」を考えて見なくちゃあいけない。