『マオ』のシナ語版をまつ日々 |
どうも、こう連日夏日が続くと、あの八月の冷夏が懐かしくなってきました。人間って勝手なもんですね。とっとっと、自分の勝手さを人類全部のみなさんのせいにしちゃあいけませんや。
先日のエントリーでも報告しましたが、ってほどのものでもありま
せんが、『マオ』のシナ語版が出るってんで早速台湾のウェッブ書店に注文入れといたんですが、同時に注文した台湾語会話のテキストだけが送られてきて、肝
心の、『マオ』がまだ未発送ってことで泣きたい気持ちです。たかが本一冊のことで女々しい(女性の皆さんすいません、どうぞ誤解なさらないでください。あ
たしはこれでも女性崇拝者なんですから。ただの慣用句、為念)ようですが、なにごとにつけ、待つことのつらさというものをしみじみ感じています。
さて、そういうことで、ってのも変ですが、例の再録ってのをまた
やらかしたいんですが、すいません、勘弁してくださいな。いつものとおり博士の所にお邪魔したときのものです。一挙に二編いっちゃいます。自分のブログが
あるっていいですね。産経さんには足をむけて寝られません。でもここから大手町はどっちの方角になるんでしょう?
天下為公? (マルコ、在独) 2006-09-09 16:38:05
尊敬する博士、
素敵な(!)写真ありがとうございます。「水が文明の「命脈」であるとすれば、大陸の激しいほどの水汚染はその「命脈」を自ら断ち、「死枯」への道をまっしぐらに進んでいると分析しても差し支えないだろう。」との文明論的にシナの環境汚染を批評なされるお立場、諸手を挙げて賛成です。
これは一中共政権の問題ではなく、シナ文明の特異性から由来するものと思われるからです。
こ
の環境汚染の悲惨さは、人の欲望の解放という資本主義装置の蓋を不用意に開けた報いでしょう。欧州における資本主義の文明的基礎は、プロテスタン的勤勉性
と公共心ですが、そのどれも存在しないシナには、資本主義は危険すぎるのです。欲望に何の歯止めもないからです。神が全てをご存知だという欧米のモラル
が、ぎりぎりのところで欲望を抑止するというシステムのない条件で資本主義装置を解放すると地獄と破滅の道を歩むしかないことを、シナのケースが我々の眼前に展開してくれているのだと思います。わが国の場合は、公の意識が優れて発達していたことが資本主義の成功に大いに貢献したことをシナの指導者は理解していないのでしょう。
かっ
て孫文は「天下為公」を唱えました。シナにかけているのは「公」の意識だとの理解があったのです。毛沢東は、「為人民服務」を唱え、これも「公」の意識を
確立することを目指していました。現在の中共指導者から、そのような危機感をともなった声が聞こえてきません。ただ「経済大国」を自称するほど驕り昂
ぶった夜郎自大の自意識の独り言と、中華の無限の拡大を目指す中華帝国主義の外交軍事的恫喝と恐喝の声だけです。文明論など、おそらくまったく考慮外なのでしょう。
このままいけば、政権のみならず、シナ文明もかっての輝ける古代文明を生み出した土地であるという考古学的価値のみを残して滅び行くしかないでしょう。
博士の更なるご健闘を祈ります。
独裁統治しかない文明 (マルコ、在独) 2006-09-09 17:21:19
尊尊敬する博士、
『マ
オ』の著者であるユン・チアン(張戎)の前作『ワイルド・スワン』には、そのあまりの自意識過剰な自己宣伝に辟易した読後感を持つゆえ、『マオ』は未読で
す。価格もちょっと高めですし。しかし、旧ソ連の資料を駆使し歴史見直しに功有りとの大方の書評ですね。機会あれば読みたいと思います。
さ
て、毛の棺を覆ってまる三十年、この稀有の人物に対する歴史評価はゆれ続けています。シナの人々には、毛時代は今のような官僚腐敗や環境汚染はなかったと
懐かしむ声もあるようです。まあ現政権への不満を表明するには毛とその時代を持ち出すのは、有効な手段かも知れません。
『資治通鑑』を十数回通読したという彼の歴史観からは人命尊重という近代的モラルを期待するのは無理というものです。しかし、彼なりに文明論的にシナのことを考えていたことは間違いなく、その点では現在の中共指導者は大いに学習するべきでしょ。
彼
の独裁はシナ自身に迫害死7000万人という被害をもたらしました。しかし、シナ人にとっては自国の指導者の迫害は許容しても、他国の侵略は決して許さな
い、との意見が多数です。小生がいままで議論したシナ人の全てがその様な意見でした。極論すれば、一億人を殺したシナ人より一人を殺した外国人を許さず、ということです。我々外国人には理解しがたいことですが現実です。
ゆえに、『マオ』の告発も蛙の面に水なのだと思います。シナからの該書に対するリアクションがあまり聞かれないのも、中文版が未出版という理由だけに求められないのではないでしょう。
小
生個人の毛に対する感想を最後に表明させていただきます。彼は詩人としては同時代の誰よりも卓越した才能を持っていたと思います。それがシナの不幸でもあ
りました。しかし千年後には一詩人として中国文学史に名を残すかもしれません。億万の犠牲が文学の肥しとはまったく悲惨なジョークですが。シナの歴史に例がないわけではありません。三国時代の残忍な独裁者、しかし優れた詩を残した曹操のように。
博士のますますのご健闘を祈ります。