永久に若くあれ |
以下は2011年10月10日に更新したエントリーであるが、その後動画が消滅してしまった。
いま、ある身近な人がその人生の最後の時をむかえつつあり、彼が若かった頃に聞いたかどうか知らないものの、たぶんクラシック音楽が趣味ゆえなかったと思われるが、しかし彼のために何か言葉を贈りたい。
そう思い、わたしにとって其の当時ずいぶん好んだという一方的な理由で再度検索してみたところ以下のようなものがあった。
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しかし、もし彼(かっては反戦左翼だった)がこの曲を聴いても元気付けられることはたぶんなく、こちらの勝手な思い込みにしかすぎぬであろう。
また、しかし、何もしてやれぬわたしとしては、けっきょく自らを元気付けたいのかも知れぬ。
わたしはたぶん、今あるような事は忘れたいのである。
人は、みな、遅かれ早かれ死に行くものではあろうが、永遠に若くあれかしと願うのは、きっと若かりし時にその思いを存分に発揮しつくすことが無いからであろう。
言葉にしにくい感情はやはり何か他のもので発露するしかないのであるが、時に、いやしばしばそれは逆説的な表現をとる。
いやむしろ、逆説あるいは反語こそが真実を表出するといえよう。
永遠の生は望まず、この限りあるわれわれに与えられた命を、あるかぎりは生きよう。
しかし、
働きすぎないように、
自己にこだわりすぎないように。
この言葉を彼にはもっと早く言っておくべきだった。
去り行くものの後ろ髪を掴むことはできないが、
せめてその後姿だけはしっかりとこの目に焼きつけておきたい。
<以下再録>
人を勇気付けるための歌詞と思われるのに寂寞とした悲哀感に満ちた唄である。
虚しい願いと知ってのことだったから、であろうか?
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当時のアメリカの反戦運動を反映した別バージョンがあるが、そこではこのバージョンの説明にもなっている。
若くして他国(当時のヴィエトナム)の戦場で死んでいった同世代人に「永遠に若くあれ」と唄ったそのころのディランはいわゆる「反戦フォーク」の代表であった。
しかしアメリカの「左翼」リベラルは決して反米ではない、むしろ愛国なのだ。
そこが日本の反戦左翼と決定的に違っている。
<以下にかって貼り付けた動画は消滅したゆえ消去>
May God bless and keep you always
May your wishes all come true
May you always do for others
And let others do for you
May you build a ladder to the stars
And climb on every rung
May you stay forever young
Forever young, forever young
May you stay forever young
May you grow up to be righteous
May you grow up to be true
May you always know the truth
And see the lights surrounding you
May you always be courageous
Stand upright and be strong
May you stay forever young
Forever young, forever young
May you stay forever young
May your hands always be busy
May your feet always be swift
May you have a strong foundation
When the winds of changes shift
May your heart always be joyful
May your song always be sung
May you stay forever young
Forever young, forever young
May you stay forever young