使うライカ、使わないライカ |
ライカといえば、ライカ信者による信仰によって成り立っているカルトがごときものであろうか?
それでもかっては、プロ・カメラマン、とくに報道関係者に絶対の信頼をもって使われる道具であった時代もあったのである。
しかし、その中心的製品であるMシリーズの最初の機種でしかもけっきょくはその最高峰であったといわれるM3が、1954年に発表された時に、ライカは坂を降り始めることになったのはいかにも皮肉である。
というのも、M3のあまりに出来すぎたファインダーを分析した、ニコンやキャノンがそれまでライカに追随して生産していたレンファインダー方式を諦め一眼レフへと製品開発の舵を切ったからである。
あれだけのファインダーを作るにはコストがかかりすぎる、という理由であったそうな。
M3の大成功が、ライカをしてMシリーズを存続させ、しかしそれはM3のコストダウンモデルを作り続けるという破目に陥ったのとは反対に、ニコン・キャノンなどのわが国のカメラ産業が優れた一眼レフ生産により大発展をとげ、カメラ産業の師であったドイツ製品を市場から駆逐するという結果を招いたのだった。
しかし、にもかかわらずライカは少数のしかし熱烈なライカ信者によるお布施によって存続するという僥倖に恵まれた。というよりむしろ、自らの企業的サヴァイヴァルのためそのレーゾンデートルを探求した結果、ライカ信者のお布施に頼ろうという戦略を立てたライカさまの慧眼に感服すべきであろう。
計画中の新神殿<Leitz Park Solms>
<使うライカ、使わないライカその2>に、つづく(かもしれない)