大東亜戦争と吾等の決意(宣言)、下 |
われらは支那を愛し、支那と共に歩むものである。われらは召されて兵士たるとき、勇敢に敵と戦うであろう。
<中略>
<引用終了>
当時、一般には竹内好と「中国文学研究会」の転向宣言と受け取られたようですが、竹内自身は、戦後になってもこの文章を否定してはいません。つまり、一定程度の大政翼賛会体制への転向声明であると同時に竹内の真意も秘められているということでしょうか。
こういう文章を書いた人ゆえ、ただの左翼ではない、といいたいのです。
(弊エントリー魯迅を見直す 2をご参照ください。)
ただの誤魔化し韜晦、あるいは政治的糊塗でこのような文章がいったい書けるものでしょうか?否、と言わざるを得ません。虚心坦懐にこの文章を一読すれば、すでに多くの水が橋の下を流れ去ったこともあり、読者に感ぜられるのは沸々と流れ出す執筆者の愛国の情、シナへの愛情ではないでしょうか?
日本人がシナを愛することが、はたして是か非かはここではあえて問わないことにしましょう。しかし竹内も「われらは祖国を愛し、祖国に次いで隣邦を愛するものである。」と書いているではありませんか?
いまこの文章を、様ような政治的思惑を排除して、ただテクストとして読むとき、この文章から読み取れるのは、この作者が一人の愛国者であったということではないでしょう?
人とは、また人の思想とは、右か左かと簡単に仕分けできるものではありません。それを簡単に仕分けしてしまうのは思想の怠慢か、あるいは政治的思惑なのです。
歴史による冷酷な死刑の判決を受けて破産し、歴史の塵溜めへと去ったマルクス主義と毛沢東「思想」だけに依存し、みずからの思想なき現サヨク諸君には何も言う言葉を知りません。ただ一日も早く消滅して欲しいと願うのみです。
台湾を侵略併合し、我が国のシー・レーンを扼し我が国を属国化せむとするシナ擬似帝国主義の脅威という第三の国難を迎えている現在のわが祖国にとり、何が一番の焦眉の急かといえば、挙国一致の危機感ではないでしょうか。野党あるいは政府批判勢力(マスコミを含む)もまた祖国を外国からの重大な挑戦と脅威から防衛するという自主独立の国家意識をもつことなのです。野党あるいは批判勢力は、愛国心の上に立った政府批判を行える思想をもった集団であるべきでしょう。
国益においてとくに外交防衛において共通の理念をもち、その実行にあたっての政策においては、激しく批判も討論もし国家国民のための働く、そういう野党、マスコミであって欲しいと願わずにおれません。野党、売国マスコミ内部における良心的な国民である皆様の猛省と自覚を促したいと思います。内部よりその組織を変えよ、他国の工作を退け、その売国的指導部より指導権を取り戻せ、しからざればあれら売国的反日ファシストとともに国民に見捨てられ滅び行くだけだと。